生成AIが十分に普及する社会で、価値観はどのようなものになるのか、私は知りたい
将来笑いものにするための「当時の証言」として、こんな未来があるかもなって妄想を書き残してみる。 ・AIが作れる分野の創作物は、現代アートのような文脈を持つもの以外、全てがとても安く、あるいはサブスクになる。その分野の著作権は、相変わらず存在するが、著作権フリーのコンテンツが無料で大量に出回って、ほとんど意味のないものとなる。 ・上手に生成する人のノウハウが、簡単にコピーできるがゆえに、生成ノウハウにあまり価値がなくなる。コンテンツの生産量は爆発的に増える。誰が作ったどのコンテンツがその人にとって面白いのか、それを探し出すために使うAIが発達するのかもしれないし、すべてのコンテンツがインディーズになるのかもしれない。 ・生成AIの提供者がポリシー的に認めないコンテンツを、需要があるけどAIが作ってくれないから、しょうがないから人間が作る、となるかもしれない ・昔の、テレビ文化に対するコミケみたいに、棲み分けが起こるかもしれない。一方では、「表に出せる体裁の良いコンテンツを生成するAI」を提供する”大手TV”。他方では、「ニッチあるいは人目をはばかるようなコンテンツを生成するAI」を提供する小規模・個人の”サークル”。 ・需要が増えない割にエッセンシャルワーカーの生産性(一人当たりの生産量のこと、一人当たりの生産額ではなく。)がやたらと上がって、ブルシットジョブがますます増える。ますます増えるブルシットジョブの中でも権力を持つ業種を正当化するようなイデオロギーが必要とされ、世界に普及する。ちょうど、肥大化した金融部門の権力者ために新自由主義が普及したように。次のイデオロギーはどんなものになるかな。 ブルシットジョブの量が十分に柔軟に増えるなら、技術水準がいかに上がっても金銭的な面で生活が楽にならない。相変わらず金持ちが権力を持つ。ブルシットジョブの量が意外と増えないようであれば、2つのシナリオがありそう ①稼げる割に生活に金がかからない社会になり、金以外の何かが重要な制約になり、新しいヒエラルキーの基準になる。 ②ほとんど魔法と区別がつかないような技術をだれもが使いこなす。ホモ・デウスのルート。